男のけじめ


 探しているものがあまりにピンポイントすぎるため、古本まつりにはよく出かけるが掘り出し物に遭遇することはめったにない。そういうわけだから、今回もたいした期待はせず、とりあえず目についた本を棚から引っ張り出したり、指を黒くしながら古い絵はがきの束を箱からつかみ出したりしていたのだった。

 そうしているうち、本棚の下に古い絵はがきが無造作に投げ込まれた箱をみつけた。探しもののひとつはとある人物のブロマイドなのだが、とりあえず確認しないわけにはいかない。パッと見たところ数百枚はありそうだ。時代もカテゴリーもまったく手つかず、なんの分類もされていない様子である。こういうときは、とりあえず何枚かをつまみ上げて、おおよその見当をつける。時は金なり。どう見ても探しものが混じっていなさそうならば全部を見るような手間はかけない。ためしに、一枚引き抜いてみた。なんだ外国の風景か。戻そうと思って手が止まった。
 
 ん?これは、ええと、もしかして?ヘルシンキじゃん!

 まさしくそれは、フィンランドの首都ヘルシンキの写真に彩色を施した、おそらく観光用につくられたとおぼしき絵はがきだった。
 絵はがきはやや上から見下ろす構図で、ヘルシンキの中心地に建つマンネルヘイム将軍の銅像越しに荘重な構えの国会議事堂が見える。撮影ポイントは中央郵便局の上階だろうか。
 ちなみにマンネルヘイム将軍とは、第一次世界大戦そして第二次世界大戦と大国のはざまで厳しい立場に置かれたフィンランドの軍隊を率いた英雄である。ヘルシンキの南北を貫く目抜き通りは、いまもその将軍の名前から「マンネルヘイム通り」と呼ばれている。絵はがきの中央、トラムが走っているのがその「マンネルヘイム通り」である。

 ところで、絵はがきの裏面には、「Fred Runeberg」というカメラマンの名前と思われるクレジットが記載されていた。もしそれが観光客相手の絵はがきだとすれば、そこにわざわざ名前のクレジットが入るということはフィンランドではそれなりに知名度のあるカメラマンだということにはならないか。そう考えると、この「フレッド・ルーネベリ」という名前には確かになんとなく聞きおぼえがあるような気がする。
 その記憶が正しいことはすぐに証明された。1950年代から1960年代にかけてフィンランドでつくられた観光用ポスターの多くを手がけたのが、まさしくこのフレッド・ルーネベリなのである。それらのポスターのいくつかは現在も「COME TO FINLAND」というブランドから復刻されており、ぼくはそれを見て彼の名前をうっすら記憶していたのだ。
 1909年ヘルシンキに生まれたフレッド・ルーネベリは、最初ポートレイトを中心に写真家としてのキャリアを始めたものの、次第にコマーシャルフォトに対する関心を高めてゆき「フィンランド初の広告写真家」という地位を築くことになる。とりわけ、ルーネベリは1937年のパリ万博のパビリオンのための写真を担当し、そのパビリオンが「金賞」を獲得したことで自身の名声も確立することにつながった。この絵はがきも、そんなキャリアを通して彼が膨大に残した作品の中の一枚であろう。

 トラムの型や自動車、道を歩く人びとのファッションを見るかぎり、おそらくこの絵はがきは1950年代の後半あたりのものではないだろうか。正直、ぼくの探しものとはまったく関係ないのだが、とはいえ、よりによっていきなり引いてしまった以上買わないわけにもいかない。百円なり。男のけじめです。

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