六本木の空中で「ムーミンと日本人」について考えた。


 日本人のムーミン好きは筋金入りである。
 毎年のように展覧会が開かれ、またテレビや映画が公開され、それこそ関連グッズは数知れず。そして今年3月には、埼玉県飯能市に「ムーミンバレーパーク」もオープンした。
 実際、世界で6億ユーロにも達するというムーミン関連の売上全体のうち、なんとその46%を占めるのが日本市場なのだそうだ(日本における「ムーミン」関連のライセンスを管理するフィンテック・グローバル社のプレスレリースより)。これはなかなかすごい。「日本はムーミンのドル箱」説をリアルに体感できる数字である。正確にいえば、「ユーロ箱」だが。 
 しかし、なぜこうまでも日本人はムーミンの世界に魅了されるのか。そこには、「かわいい」だけではない、なにか日本人にハマる独特のツボがあるのではないだろうか。

 そんななか、今週の日曜日(6月16日)まで六本木の森アーツセンターギャラリーで「ムーミン展」が開催中されている(この後、大分、金沢、名古屋を巡回)。
 正直またかと思わないでもないが、いままでと一味違うムーミン展とのうわさを聞きつけ足を運んでみた。平日とはいえ、場内はいつもながらの混雑ぶり。そして、ざっと見渡しただけでも、いかにこの国では幅広い年代の男女からムーミンが愛されているのかがよくわかる。

 すでに何度か観たおぼえのある原画が並ぶなか、思わず足が止まったのは白い紙に黒いペンで描かれた数枚の「ぞっとする話」の素描である。「ぞっとする話」は、『ムーミン谷の仲間たち』に収められている一編。
 怯えたように振り向くホムサの目線の先には、草むらから鎌首をもたげてじっとこちらの様子をうかがう数匹のヘビの姿が…………。しかし、はたしてそれは実際にヘビなのだろうか。あるいは、もしかしたら草むらに生い茂る植物がそんなふうに見えているだけなのか。

 ああ、そうか、トーベ・ヤンソンはこの「気配」をこそ描きたかったのか! 
 それは、なにかのきっかけで不意に自然の中にたちあがる気配。トーベは、かたちをあたえることで見えない「気配」を可視化しているのではないか。見えるものにではなく、見えない気配にこそホムサは怯えているのだ。
 そう考えると、ムーミンやその仲間たちもまた同じように「気配」ということになる。ぼくらはつまり、深い森の中にひそむ目に見えないものの存在を、トーベが描いたキャラクターを通して見ているわけである。
 なんだか話がややこしくなってしまったが、それはぼくら日本人にとっては小泉八雲の怪談や水木しげるの漫画や、あるいは宮崎駿のアニメを通してよく知っているものとたぶん何も変わらない。もともと日本人は、そうした「気配」にかたちをあたえることでその存在を認め、共存してきた民族なのだ。子供に限らず、大人までもがすんなりとムーミンの物語の世界に入ってゆけるのは、じつはそうした背景ゆえなのだと思う。
 その一方、トーベのアトリエの蔵書の一部として展示された本のなかに、小泉八雲をふくむ日本の民話集があったのも興味深い。日本の物語の世界観は、トーベにとってもまた親しみのあるものだったのかもしれない。

 こんなふうに「ムーミンと日本人」について思いめぐらしていたら、今回の展覧会の最後のパートは「日本とトーベとムーミン」と題されたまさにタイムリーな特集展示になっていた。
 そこでは、ムーミンの原画とおそらくそこから何かしらの影響を受けたと考えられる浮世絵とが並べて展示されており、なかにはビックリするほど似通った構図のものもあった。
 いまにもパパを飲み込まんとする巨大な波濤や海から塔のように突き出た島々、雪をかぶって折り重なる山々といったムーミン谷の景観は、トーベが幼少時代から見慣れたフィンランドの景観とは明らかに異なる。どこかで目にした浮世絵の世界が、トーベのイマジネーションを刺激し、ふくらんでいったとしてもなんの不思議もない。
 とはいえ、図録に収められた町田市立国際版画美術館の学芸員・村瀬可奈さんの解説によれば、両者の関連についてはいまのところ推測の域にとどまっているようだ。今後の研究を待ちたいところ
 学術的な裏付けはともかく、ぼくら日本人がムーミンの世界に知らず知らず浮世絵の世界を感じ取り、親しみを抱いていたとすれば、だが、それはなんだかとても愉快なことじゃないだろうか。おそらく今年2019年が、日本とフィンランドとの外交関係樹立100年のメモリアルイヤーだということから発案されたコーナーなのだろうが、こういう掘り下げなら大歓迎。どんどん掘っていってほしい。山室静氏をはじめ日本にムーミンを紹介した「功労者」たちをパネルで紹介していたのもとてもよかった。

 また、今回の「ムーミン展」では、大島依提亜さんが装丁を手がけた図録が素晴らしい。見たところは、図録というよりは一冊の本。ちなみに、moiのシナモンロールが取り上げられた『世界のかわいいパン』(パイインターナショナル)のブックデザインもたしか大島さんの手によるもの。
 この図録、なによりB6の上製本という形がよい。ふつうの図録だと保管するのにも場所を取ってしまいひと苦労だが、単行本と同じサイズなのできれいに本棚に収まるのだ。もちろん、他にもかわいい会場限定グッズがたくさん溢れており、意志の弱いひとは確実に身ぐるみ剥がされるので要注意。

コメント