チャールズ&レイ・イームズ「LCW」1946年
このあいだ、東陽町にあるギャラリーA4(エークワッド)で「イームズハウス:より良い暮らしを実現するデザイン」と題された展示をみたのだが、展示された作品のなかにチャールズ・イームズとその妻レイがつくったプライウッドの椅子、通称「LCW」をみつけ、懐かしい友人と再会したような気分になった。
ちょっと調べると、チャールズ・イームズはとてもフィンランドにゆかりのある人だということが分かる。たとえば、彼は特別研究員としてミシガン州にあるクランブルック美術アカデミーに在籍していたことがあるが、このとき校長を務めていたのはフィンランドの建築家エリエル・サーリネンであった。それどころか、雑誌に掲載されたチャールズの作品に目をとめたサーリネンみずからが呼び寄せたのだった。
そのエリエル・サーリネンといえば、1910年代にフィンランドがロシアから独立する前後に活躍した建築家である。おそらくフィンランドに行ったことがあるひとならば、サーリネンが設計した4体のロン毛の巨人が光る球体を抱えて立っている「ヘルシンキ中央駅」の建物に一度は足を運んでいるにちがいない。活躍した時期が時期だけに、フィンランドに残された彼の建物は「ナショナル・ロマンティシズム」と称される民族主義的な、ちょっと大仰な作風のものが多い。そのためなんとなく「昔のひと」といったイメージがあったのだが、新天地アメリカに渡ったサーリネンは、こんなふうに新しい才能をいち早く見い出す名伯楽として活躍していたのだ。ちょっと意外な、しかしうれしい発見。
さらに、イームズはそのクランブルック時代にサーリネンの息子エーロと出会い、意気投合する。1940年にはMOMA主催の「オーガニック家具デザイン」コンペに共同で出品、6部門中2部門でグランプリを獲得している。エーロは、その後デザイナーとしては「チューリップチェア」や「ウームチェア」など、また建築家としては有名なジョン・F・ケネディ空港のTWAターミナルを設計するなどしてイームズとともにアメリカの「ミッドセンチュリーモダン」の黄金期を築いてゆく。
もうひとり、イームズの人生に影響をあたえたフィンランド人を挙げるとすれば、それはアルヴァ・アアルトである。
1920年代、アアルトは家具職人のオット・コルホネンとともに新たな「曲げ木」の技術開発に取り組む。「L-レッグ」と名づけられるその積層合板を用いて木を曲げる技術は、椅子の脚のみならずテーブルや棚にまで応用されアールトの家具のトレードマークになるが、それ以上にフィンランドではもっとも身近な自然素材でありながらそれまで家具には不向きとされてきた白樺の利用価値を高め、コストダウンを図ることに成功したのは画期的な出来事といえる。とりわけ、アアルトがみずから設計したサナトリウムのためにデザインした安楽椅子「パイミオチェア」は、この曲げ木の技術をふんだんに使用したユニークな作品となっている。
はたしてイームズはアアルトに会ったのだろうか? すくなくとも、アアルトが「フィンランド館」のデザインを手がけた1939年のニューヨーク万博には足を運んだはずである。とにもかくにも、この文章のはじめに書いたイームズの「LCW」は、こうしたアアルト家具の延長線上に生まれたと言われている。
アルヴァ・アアルト「パイミオチェア」1931-32年
二十数年前、最初このイームズの椅子と出会ったぼくは、まずいわゆる「木の椅子」とは異なるモダンなその造形に惹かれ、次いでそれが「木を曲げる」ことでわずか5つのパーツからできていると知りビックリしてしまった。そしてそこからアアルトの存在を知り、関心は俄然「北」へと移ったのだった。つまり、日本発アメリカ経由フィンランド行き。
好きなものが好きなものと、さらにまた別の好きなものとつながって、何もなかったところに思いがけない像を結ぶ。ちょっと大げさだが、生きていて楽しいと感じるのはこうした「思考の星座」が少しずつ自分のなかに増えてゆくときだと思うのだ。
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